【泣ける話】涙腺崩壊!闘病中のママが子どもに言われてうれしかった一言

2013年11月、35歳のときに指定難病の一つ高安動脈炎と診断され、緊急入院しました。今回は、当時の子どものようすについて振り返ってみたいと思います。

祖父母のもとに預けられた息子(3歳)のようす

当時3歳の息子はトイトレ(トイレトレーニング)の真っ最中。夜のみ紙オムツで、昼間は厚地のトレーニングパンツで過ごせていた。せっかく紙オムツ卒業間近か!?という頃合いだったが、母親(私)と父親と離れ、ひとり祖父母の家にあずけられた彼は、ストレスが原因か、お漏らしを頻回にするようになり、完全に紙オムツに後戻りしてしまった。夜はしばらく夜泣きをしていたらしい。

電話をしても、電話口に出てくれなかった息子。後日、その理由を聞くと、ママの声を聞いちゃうと恋しくなるからガマンしていたんだとか。オトナが思っている以上に、子どもは周囲のことをよく見ていて、心を働かせているのだ。

子育ての世代間ギャップを痛感

退院後、祖母の孫育てを実際にみて「ギョッ」としたのが、歯磨き粉を使わずに1ヶ月間、水だけで孫の歯磨きをしていたこと。

私はすぐに歯医者に連れて行って、虫歯がないかどうかチェックしてもらった。
歯科医師いわく、「歯磨き粉は補助的なものですから、1ヶ月くらい使わなくても大丈夫ですよ」とのこと。ひとまず安心した。

さらに、私が入院中の間、一度も「耳かき」をしていないという。
爪は、かろうじて週に一度切っていてくれていたらしいが。

そのほか、ウンチがでない、身体をかゆがっている、食事を食べてくれない……など、孫育てのお悩みメールが毎日のように届き、「この人(ワーキングマザーだった実母)、本当に子育てをしていたのだろうか?」と疑ってしまった(でも、息子のようすを毎日報告してくれて、感謝しています)。

かわいい子には旅をさせよ

……とは、よく言ったものです。

親と離れている間に、語彙数も驚くほど増え、コミュニケーション力が格段にアップしていた息子。じぃじ、ばぁばに、自分の意思をなんとか「伝えたい」という思いが一段と高まっていたからのことかもしれません。1ヶ月以上ぶりに会った彼は、まるで別人か!?と思うほど、優しく、強く、そして頼もしい存在になっていた。

育児の引継書を作っておこう

幼い子どもを誰かに預けるときは、簡単なメモでもよいので、引継書を作ったほうがいい。
(私は緊急入院でムリだったけれど)

とくに食事のこと(アレルギー、好き・嫌い)、服用している薬の飲ませ方、薬のぬり方、予防接種スケジュールのこと、保育園・幼稚園のこと、などなど。

ちなみに、実家は他県ではあったが、事情を話すと、週に一回程度、空きがあるときのみ、保育園(一時保育)で預かってもらえましたよ。

涙腺崩壊!子どもから言われてうれしかった一言

さて、私の入院中や退院後、息子(3~4歳の頃)に言われて、うれしかった一言をここでいくつかご紹介したいと思います。スミマセン、親バカで(^_^;)

息子
「お母さんの病気を治すために、ボクお医者さんになるんだ!」
息子
「お母さんのために、野菜たっぷりのサラダを作ってあげるよ!」
息子
「ボクは力持ちだから、持ってあげるよ。
ボクが手伝ってくれると、お母さん、うれしい?」
息子
「お母さんの病気が治るように、いっしょに、お参りしよう!(仏壇の前でお祈りすること)」
息子
(「ママ、階段はまだゆっくりしか歩けないんだ」)「ボク、しんぱい。一緒に手をつないで歩いてあげるよ」
息子
「ママ、だーい好き♪」

あぁ、思い出しただけでも、ウルウル泣けてきます。

まだまだ手のかかる時期で、子どもの言動についついイライラしてしまいがちだけれど、こういう嬉しいフレーズを思い出して、ママはパワーチャージするのです!

家族や周囲の協力が不可欠

両親(60代半ば)がまだ元気で、面倒をみてもらえたから良かったものの、そうでなかったら、どうなっていたことやら。

夫も毎週末のように、会社→実家→病院→自宅と、さぞかし大変だったと思います。弟夫婦も心配して、息子のようすを見に行ってくれました。

こうして、いろいろ思い出すと、家族のおかげで私は治療に専念できていたことがわかります。改めて家族には感謝!

そして、親はなんといっても体が資本!!
子どもが笑顔でいてくれるためにも、これからもしっかり体調管理がんばりまっす!!