34歳で乳がんで旅立った小林麻央さんの生き方について、35歳で難病になった私が改めて思うこと。

こんにちは。かふぇもかです。

2年8ヶ月にわたり乳がんで闘病生活を送っていった元ニュースキャスターの小林麻央さんが先日旅立たれました。

病気は違えど、同じく30代で闘病生活を送る身としては、とても心が痛みます。ただただご冥福をお祈りするばかりです。

国内のみならず海外のメディア等でもすでに報じられているところですが、小林麻央さんが残したものは計り知れません。ひとことでは到底言い尽くすことはできませんが、私なりに感じたこと、考えさせられたことをメモしておこうと思います。

愛する家族がいるということ

麻央さんの最期の言葉は「愛している」だったそうです。

夫である市川海老蔵さん、お子さんの麗禾ちゃん、勧玄くん、お姉さんの小林麻耶さんほか、ご家族がどれほど麻央さんが生きるうえでの大きな支えになっていたことか。。

家族に対して感謝の気持ちを伝えることの大切さ、家族の絆というものを改めて考えさせられたような気がします。

ブログで自分をさらけ出すことはいいことだと思う

病気のことをオープンにするということは、とても勇気がいることです。有名人であれば、なおさらのことでしょう。しかし、小林麻央さんは、病気の陰に隠れないことを決意し、ブログをスタートさせました。

自分の経験からすると、ブログを書くということは、自分の体験を人に話すという作業の積み重ねとなり、この作業を通して自分の頭の中を整理していくことができます。また、ブログを書いている間は集中できるので、不安を感じないひと時ともなります。

私の場合は、ブログを書籍化(『高安動脈炎と生きる』(Kindle本)することで、一つの達成感を得られました。病気が安定したら、また仕事をしっかりやっていけるという自信にもつながりました。

ブログは、病を受容していくための、すばらしいツールの一つだと改めて思いました。

「病気になったことが私の人生を代表する出来事ではない」

本当に。まさに、そのとおりなのだ。

私(かふぇもか)=難病、とはしたくない。だから、しばしば葛藤する。このブログでも、難病オトナ女子、とタイトルをつけてしまっていることを。

病気に負けそうになったとき、自分自身に言い聞かせたい言葉です。病気や障がいのあるなしにかかわらず、これからも自分らしく生きていきたいと願うすべての人にとって、応援メッセージとなる一言になるにちがいありません。

死に直面すると人は強くなる

テレビの街頭インタビューなどを聞いていると、「小林麻央さんは、すごい」「強い女性だ」「自分だったらあんな風にできない」などの声が聞こえてきます。

でも、死に直面した経験のある私からすると、彼女が特別に強い、という印象は抱きません。なぜなら、みんな誰だって、強くなれるよ、と思うからです。

病気の乗り越え方は人それぞれだと思いますが、そのプロセスにおいて、多くの人はかたい意志や決意を抱くものです。そして、その決意が生きる希望につながるのです。

誰かの役に立つということ

小林麻央さんが残したものは計り知れません。どれだけ多くの人に勇気や希望を与え、励みになったことでしょうか。

事故や疾患などで障がいを持った人たちが、本当の意味で自分自身を「受容」するには一般的に1~2年はかかると言われています。

私自身も、同じような病気をもつ人やその家族を支援できる行動をこれからもしていきたいと思います。

悲しみはいつかは癒える

最愛の人の「死」は本当につらい出来事だと思います。海老蔵さんは気丈にも舞台を続けていらっしゃるようですが、これからさまざまな感情が生まれてくると思います。残された家族の皆さんがこの悲しみをスムーズに乗り越えて、いつか本当の笑顔を取り戻されることを願います。

【死生学】「悲嘆のプロセス」(デーケン)を知っておくと、最愛の人の「死」からの立ち直りや、病気などの受容もスムーズにいく。

人生は短い

34歳。確かに日本人の平均余命からしたら早い旅立ちかもしれません。

でも、遅かれ早かれ、人はいつかは死ぬのです。それは今日かもしれません。明日かもしれません。誰にも、いつか、はわかりません。後悔がないように、1日1日を大切に過ごすだけです。

カラダは資本

病気になると、健康であることのありがたさをしみじみと感じるところです。健康な皆さんは、1年に一度は健康診断に行きましょうね。

どう生きるかを考えるきっかけ

愛する人や自分の死について考えると、恐怖や不安で押しつぶされそうになるけれど、死ぬことを考えることは、自分の残された人生をどう生きるかを考えるきっかけともなります。

皆さんも、これを機会に考えてみてはいかが?